昭和25年の入間川七夕(まだ生まれてません)
ところで、七夕って何?
七夕まつりは、もともとは、中国の乞巧奠(きっこうでん)というお祭りと、日本古来の行事が融合してできたものだそうです。書物を紐といて調べてみました。乞巧奠の始まりは、彦星と織姫の話からです、『天の川の西岸に住む織姫は、機織りの名手。毎日機織りに勤しんで美しい布を織り上げ、父親である天帝を喜ばせておりました。そんな娘の結婚相手を探していた天帝は、東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせ、ふたりはめでたく夫婦になりました。しかし、結婚してからというもの、あまりにも夫婦仲が良すぎて全く仕事をしようとしません。これに怒った天帝が、天の川を隔ててふたりを離れ離れにしてしまいました。しかし、悲しみに明け暮れるふたりを不憫に思った天帝は、仕事に励むことを条件に七夕の夜に限ってふたりが再会することを許します。こうして、七夕になると天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、ふたりは年に一度の逢瀬をするようになったのです。』
・・・彦星と織姫は恋人同士ではなく夫婦だったのですね。…これは大きな発見です。知っていましたか?
日本では七夕は稲の開花期にあたり、水害や病害などが心配な時期です。また、お盆(旧暦の7月15日)の準備をする頃にもあたります。そこで、収穫の無事を祈り、棚機女(たなばたつめ)という巫女が水辺の棚の上に設けられた機屋で棚機(たなばた)と呼ばれる機織り機を使って先祖に捧げる衣を織りあげ、それを祀って神の降臨を待つという禊(みそぎ)の行事があったそうです。棚には神聖なものを一段上げるという意味があります。
やがてこの行事と乞巧奠が交じり合い現在のような形に定着していきますが、もともとは7月7日の夕方を表して七夕(しちせき)と呼ばれていたものが、棚機(たなばた)にちなんで七夕(たなばた)という読み方に変わっていったのです。
その他、なぜ短冊に願いごとを書くと叶うのか、など分からないこと一杯ですね…。ぜひ調べてみてください。
万葉集には130種を超える七夕の歌があります。そのほとんどは、男女の恋の物語として詠まれています。
「霞立つ天の川原に君待つとい行き帰るに裳の裾濡れぬ」
…霞が立つ、天の川原であなたさまがいらっしゃるのを待って、川原を行ったり来たりして、裳(も:スカートのようなもの)のすそが濡れてしまいました。
アミーゴでも笹を飾って、子どもたちに願い事を書いてもらっています。
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