2019年07月28日

仙太郎胸像 読売新聞に掲載

平岡仙太郎氏の胸像除幕式とお披露目会の記事が読売新聞埼玉版に掲載されました!
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posted by mizuさん at 12:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平岡仙太郎胸像除幕式

何度かこのブログでも書きましたが、平仙レース創業者平岡仙太郎氏の胸像がアミーゴ前のスーパーヤオコーさんの角に移設が終わり、24日除幕式とお披露目会が行われました。
所沢織物組合の組合員の皆さんはもちろん、入間市の副市長、教育長、地元市議、博物館長そしてヤオコーの役員様など多くの来賓招待者が参加して盛大に行われました。
年の初めに地域の区長さんから胸像のことでお話があって動き始め、織物組合の細田理事長と相談し、織物組合が全面的にバックアップして胸像の移設を行うことで決まりました。そしてこの日まで、移設場所、施工の内容、そして除幕、お披露目会の開催準備とあっという間に半年が過ぎました。私は、冊子「入間の織物の源流」の仙太郎と平仙レースに関するページを編集し直し改訂版の発行に向けて資料の収集や検討をしました。何とか除幕式一週間前に出来上がりました。
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皆さんは、「平仙レース」をご存知でしょうか?レース生産高で日本第二位を誇り、昭和天皇が二度もご訪問するなど入間市の歴史を飾る繊維会社です。その創業者が平岡仙太郎です。
この平岡家の本宅が仏子団地(元平仙レース本社工場)前にありましたが、このたび取り壊されました。その庭にあった胸像を仙太郎ゆかりの地である平仙レース第二工場跡(現ヤオコー)に移設されることになりました。ここは、戦後、産地繊維工業の発展のために織物組合に寄贈し、組合が「仏子整染」として操業してきたところで、所沢織物の歴史を刻む地でもあります。
仙太郎と平仙レースは、地域消防団にフォード製の消防車を寄贈したり、八坂神社の神輿を寄付したりと社会事業に貢献したほか、会社内に浦和高校通信教育部を設置するなど子女教育にも貢献し、地域の発展に大きな足跡を残しました。

織物組合は、昭和十二年に仏子染織指導所(現在のアミーゴ)を誘致しました。時の組合理事長であり、県議会議長であったのが平仙レース社長平岡仙太郎です。仙太郎の労苦は多大なものがあったと思います。


この胸像の移設を機に、地域の方々が郷土の歴史や遺産を知り、改めて郷土愛やまちの活性化につながればと思います。そして、子どもたちにもこの歴史を知ってもらい、郷土への愛着と誇りを持ってもらいたいと切に感じます。これからもアミーゴは、地域の発展のために多くの方と協力して努力していきます!
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2019年07月13日

松方コレクション

国立西洋美術館へ松方コレクション展を鑑賞に行ってまいりました。
松方コレクションは、神戸の川崎造船所(現・川崎重工業)の初代社長を務めた松方幸次郎が、1910〜20年代にヨーロッパ各地で蒐集した美術品のコレクションです。浮世絵約8000点のほか、西洋絵画、素描、版画、彫刻、装飾芸術品など3000点近くにのぼります。関東大震災と昭和金融恐慌によってコレクションは散逸。ロンドン(約900点)、パリ(約400点)、そして日本(約1000点以上)で分散したコレクションはそれぞれの道を辿ることとなりました。このうち、パリから戦後返還された375点が、日本へ「松方コレクション」として返還されました。これを保管展示するための美術館として1959年に国立西洋美術館が設立されたのでした。
見どころは、何といっても世界各地に散逸した松方旧蔵の名作が集結したことでしょう。約160展が結集しました。オルセー美術館の至宝・ゴッホ《アルルの寝室》などなど。2016年にパリ・ルーヴル美術館で発見され、国立西洋美術館に寄贈されたことで大きな話題となったモネ《睡蓮、柳の反映》が現存部分の修復を経て、初めて公開されていました。絵画の素晴らしさはもちろんですが、直接モネから譲り受けるなどその精力的な「松方幸次郎」のエネルギーに感動でした!
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posted by mizuさん at 15:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月08日

長島記念館

熊谷にある「長嶋記念館」を訪ねました。長島記念館は、埼玉銀行頭取・会長を勤め埼玉県経済界の発展に努めてきた、故長島恭助氏の生家を利用して平成6年にオープンしたところです。記念館の大谷石で作られた蔵の中には、生前の長島氏が収集した川合玉堂・横山大観らの絵画や刀剣などが展示されていました。母屋も見学できます。築300年位のとても立派な家でした。
熊谷に会議があって、折角いくのならと思い立ち寄らせていただきました。中に入ると受付の方から「見学終わりましたらお茶を飲んでいってください」と声を掛けられました。他に見学者もなく見学後、受付の縁台に座り、管理の方ともお茶を飲みながら三人でお話をしました。梅干のお茶請けまでいただき、記念館の樹木や地域の話、黒須銀行、渋沢栄一や遠山記念館、荻野吟子記念館の話など・・・。とても風情のあるところで、期せずしてとても良い時間を過ごしました。また違う季節にお伺いしますと言って後にしました。
こういう寄り道も楽しい。・・・忘れかけていたちょっと幸せなひと時でした。
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長島恭助は、明治34年(1901)生まれ、県立熊谷中学校(現熊谷高等学校)・山口高等商業学校(現山口大学)を経て、大正12年(1923)武州銀行に入行いたしました。以来、69年間銀行一筋に生きてきた人です。武州銀行に入行して、合併により埼玉銀行・協和埼玉銀行・あさひ銀行と銀行名は変わりましたが、その間、埼玉銀行頭取・会長を勤め埼玉県経済界の発展を担った方です。銀行業務のかたわら多くの団体の要職にも就き、文化・スポーツ・教育・福祉、その他多方面に亘り埼玉県の伸展に尽しました。
posted by mizuさん at 17:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする