2017年06月11日

史蹟旅行 備後福山

例年の史蹟旅行が5月27,28日と行われました。今年は備後福山です。私の同期は29日も尾道を散策しました。
初日は、鞆の浦のホテルからボランティアガイドさんの案内でまち歩きをしながら…福善寺対潮楼…太田家住宅・・・常夜燈…保命酒…安国寺を回りました。そして夜は花火大会見学!ところで、このガイドさん、80歳を過ぎたおじいちゃんなんです。ビックリですが、とても親切丁寧に説明してくれ、まさにアクティブシニアの活躍だと感じました。今回の旅は、瀬戸内の景色と常夜燈を楽しみにしてましたが、本当に美しい風景に出会え念願がかないました。
《福善寺対潮楼》
福禅寺の本堂に隣接する対潮楼は、江戸時代の元禄年間(1690年頃)に創建された客殿で国の史跡に指定されています。座敷からの海の眺めは素晴らしく、1711年、朝鮮通信使の李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛。1748年、洪景海は「対潮楼」の書を残しています。
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《太田家住宅》
1991(平成3)年に国の重要文化財指定を受けました。瀬戸内海を代表する往時の商家の佇まいを今に伝える、歴史的価値のある建造物群です。保命酒蔵や炊事場などよく保存されていました。
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《常夜燈》
これを見たくて、鞆の浦へ来たような感じでした。鞆港西側の雁木の南端に立つ常夜燈(とうろどう=燈籠塔)は、何と言っても鞆の浦の1番のシンボルです。「安政六年己未七月」(1859年)に建造されました。
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《安国寺》
1273年(文永十年)に釈迦堂(仏殿)を、翌年に阿弥陀三尊像を造立した『金宝寺』が、備後安国寺の前身です。鎌倉時代の優れた建物と仏像が、安国寺の長い歴史の重みを物語っています。
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《鯛網観光》
鯛網は、鞆の浦に約380年も伝わる伝統漁法です。外洋で冬を過ごした鯛は初夏、豊後水道・紀伊水道を抜けて、産卵のため波穏やかな瀬戸内海中央部の鞆の浦沖へとやってきます。手船という小さな船で弁天島の弁財天に祈願して出漁。古式そのままに網がしぼられます。これを観光船から見学するというのが、「鯛網観光」です。ちょうどこの日が最終日で。それに合わせて花火大会が行われるのだそうです。

《鞆の浦弁天島花火大会》
鞆の浦に浮かぶ弁天島の夜空にスターマインなどの花火が打ち上げられ、海上に映える多彩なイルミネーションは、港町ならではの情緒を醸し出します。幻想的な光の競演を満喫しました。
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二日目は、明王院そして広島県立歴史博物館を見学しました。暑い日となり階段を上ったり、広い公園を歩いたりと気持ちは若いお年寄りには大変でした。
《明王院》
807年(大同2年)、弘法大師の開基と伝えられています。本堂は全体に和様、細部には唐様を用いた折衷様式で、この様式としては現存する最古の建物です。五重塔は、全国の国宝塔の中でも5番目の古さをもつ美しい塔です。
ちなみに5番目とは、法隆寺・室生寺・醍醐寺・海住山寺に次ぐものなのです。結構難問でした。
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《広島県立歴史博物館》
瀬戸内の歴史をテーマにした通史展示や,中世の港町「草戸千軒町遺跡」の発掘調査成果の展示をしています。ということで、「ふくやま草戸千軒ミュージアム」とも呼ばれています。1673年の洪水で、草戸地域の千軒の町屋が押し流され、その遺跡が中世の街並みがそっくり埋もれていることが分かり学界の注目するところとなったとのことです。
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《福山城》
徳川幕府から西国鎮護の拠点として,譜代大名水野勝成が元和5年(1619年) 備後10万石の領主として入府し元和8年(1622年)に完成した城で、江戸時代建築最後の最も完成された名城としてたたえられていました。明治6年(1873年)に廃城となり、多くの城の建物が取り壊され,更に昭和20年(1945年)8月の空襲により国宝に指定されていた天守閣と御湯殿も焼失しました。その後昭和41年(1966年)の秋に市制50周年事業として天守閣と御湯殿、月見櫓が復原されました。
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この後、昼食をとって福山駅で解散しました。「来年は天橋立で会いましょう」となりました。元気でまた皆さんと再会したいと思います。
解散後は、同期の5人と先輩後輩一人ずつ計8人で、レンタカーを借りて尾道へ。まずは高台の千光寺公園に車を止め、坂道の家々やお寺を見学しながら下り、ロープウェーでまた千光寺公園に戻り、今度は少し離れた西國寺を訪ねました。
本当に「坂のまち」とは聞いていましたが、初めての尾道体験でびっくりしました。車は通れないし、急だし、生活できるのだろうかと。
千光寺公園からのしまなみ海道の眺め、天寧寺の三重塔、艮神社、西國寺三重塔と瀬戸内の景色を堪能しました。
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宿泊は「西山別館」。この地で1943年に創業して以降、文豪や著名人に愛されてきた由緒ある老舗宿。瀬戸内の山海の幸が散りばめられた季節の料理に舌鼓。( ^)o(^ )

三日目、29日は浄土寺を見学してから、しまなみ海道を渡り因島・村上水軍城、生口島・向上寺と巡りました。
《浄土寺》
616年、聖徳太子の創建と伝えられるています。足利尊氏が九州平定や湊川の戦の際、戦勝祈願をした寺としても有名です。
「本堂」「多宝塔」は国宝、「山門」「阿弥陀堂」は国重文、境内一帯は国指定文化財に指定されています。
境内で腕のような木片を発見しました。実はこれ、多宝塔の軒先の角を支える鬼の腕なんです!取れて下に落ちていたのです(≧▽≦) 国宝です!寺務所に届けましたが…びっくりですね、こんなこと史蹟巡りをしていて初めてのことです。
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《因島 村上水軍城》
日本遺産に認定された「村上海賊(村上水軍)」の貴重な資料を展示した、日本で唯一の水軍城。南北朝時代から室町・戦国時代にかけてこの地で活躍した村上水軍の甲冑や刀剣、戦術を記した巻物などの資料がありました。
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《生口島 向上寺》
入り口が分からず車で細い道を走り回りました。長い坂道と石段を登ってたどり着きました。永享4年(1432年)に当時の生口島の領主小早川信元・信昌によって建立された国宝三重塔。室町時代の禅宗建築の粋を集めた、唐様式、和様式の折衷で建てられ、この時代のものの中では最も美しいものの1つに数えられています。
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最後に生口島の「漁師の店しまー」であなご丼、タコ飯を食べて旅の締めくくりをしました。小さな島の食堂って感じの店で、出てきた親父さんと女将さんがひとしきり味自慢をしてくれました。
できれば「しまなみ海道」を四国まで行きたかったですね〜。次回のお楽しみとしておきます。
精気を養ったところで、またアミーゴの事業を充実させていきたいと思います。
posted by mizuさん at 10:58| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
楽しい旅でしたね。羨ましい限りです。
アミーゴの事業に役に立ちますね。ではまた。
Posted by 恵 at 2017年06月21日 20:15
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